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不登校を積極的に認めてもいい? フランスの不登校児が通う学校の“充実した中身”

5/26(水) 8:16 現代ビジネス

「不登校を積極的に認めていいものなのか」という相談を10年ほど前から度々持ちかけられる。

【写真】日本の学校は地獄か…いじめ自殺で市教委がとった残酷すぎる言動

 筆者はさまざまな児童福祉の現場で不登校歴の長い子どもたちの就職活動や自立支援を知り、学校で得られることは勉強だけではないと思い至る機会があった。

 特に自尊心や自信は内から湧くものではない。何かを成し遂げた経験を積み重ねる中で自信、「新しい挑戦に立ち向かいたい」という意欲、「できるようになったことがいくつもあるから今回も大丈夫だろう」という安心感が育つ。

 しかし、学校での価値基準は勉強や部活など偏りがあり、子どもそれぞれの才能が評価され誰にとっても居心地のいい場所であるとは限らない。

 岐阜市にこの春、不登校児専門公立中学校が開校した。自治体主導としては初の公立不登校特例校だという。説明会には40名定員のところ120家族が参加したそうだ。

 無料で通える学校の選択肢があって、子どもが「見守られている」「応援されている」と感じる大人たちのもとで生き生きと育つことができる場所が見つかるのがいいと思う。

 筆者が4年前から通っているパリの北にある個別支援校には、一般の学校に行きたくない10歳から17歳までの子どもが来る。はじめは勉強はしない。自分の選んだ活動をする中で自信をつけると、自分から「勉強をしたい」と言うようになり、あっという間に追いついて自分で選んだ一般の学校に戻っていく。

 中学校から専門課程の教育をする学校もあり、学校の選択肢は1つではない。その過程で突出した才能を発揮することも度々だ。皆が事務職や研究者になるわけではない、世の中には芸術家も運転手も様々な職業があり、様々な才能が必要だ。与えられた課題に取り組むだけではないいろんな学びの場があることの方が自然なのではないだろうか。

 パリの北にある個別支援学校について紹介する。

学校は学ぶだけでなくリカバリーする場所
 フランスの学校は「月に半日を4回以上休んだ生徒」は県の担当部署に報告し、子どもが休む理由を理解し対応しなければならないのでかなり早い段階で不登校の対応がとられる。

 休みは「何かうまくいっていないことがある症状」とされているので、無理やり学校に来させるのではなく、子どもと親のケアをする。そのために児童福祉の専門職が学校に配置され子どもと家族とのやりとりを担当し、教師は学科だけを担当する(参照「フランスの学校は“いじめや不登校”にどう立ち向っているのか」)。

 3歳から義務教育である理由は、6歳時点の語彙数に子どもによって大きな差があり、その差が16歳までの教育では埋めきれていないということがわかったため、3歳から基礎的な学習の機会を作るとともに、全ての子どもに福祉が行き届いているかチェックできるようにするためでもある。

 自分にとって生き生きと過ごせる場所を子ども自身が選ぶことが奨励されている。別の学校に転校したり、小学校からある全寮制の学校を選ぶ子どももいるし、中学校からはスポーツや語学を得意としている学校や必ずしも最寄りでなくても特徴がある学校に通うこともある。全て公立校で無料で通える。16歳から18歳で経済的に自立できることを目指す職業高校も無料である。

 児童相談所に手続きをしてもらうと、きめ細やかな取り組みをしている私立の学校に通うことや、専門家の治療も無料になる。

 筆者が今回紹介する個別支援校も児童相談所への相談をきっかけとして来る子どもが多く、県の財源で運営している。週7日、365日開校している理由は、休みの間に元気がなくなる子ども、休みの間過ごす場所を必要としている子どもがいるからだ。

 不登校期間があった理由としては、両親が離婚し離れて住む親の間の行き来と転校を繰り返したこと、施設入所しても親の病気が心配で脱走してきたことなどさまざまで、知能指数が高すぎて学校の授業が耐えられなかった子どもも一定数いる。

 子どもたちは個別支援学校に到着した当初は、馴染みのある空間が限られ、偏見があり、問題解決の道具も多く持ち合わせていないことが多い。

 例えば地下鉄で20分の首都パリに行ったことがなかったり、「パリの人間は大嫌い」と言ったりするが、それはそれだけ交流や行動の範囲が狭かったということである。自信がなく、自身や相手や出来事に失望する経験をしてきていると「変化していくこと」に対する意欲が少ない。

 職員室には「教育は世界を変える一番強い武器である」というマンデラの言葉が貼ってある。

「何かを成し遂げた経験を積み重ねる」
写真:現代ビジネス

 入所するとまずその子どもの希望に合った時間割が組まれる。

 脳を活性化させ「初めてのことに取り組んでみたい」「もっと上手になりたい」という気持ちを十分育てるためである。「できなかったことができるようになる」経験を重ねる中で自信をつけ、挑戦したい内容が増える。その流れの中で自然に勉強に再度取り組みたい意欲がわく。

 例えば、ダンスに憧れていた子どもがプロに習い、上達し人前でダンスができるようになる頃には、他の活動全般も意欲的になっているという。「得意分野を見つけなさい」などと言うことがあるが、自分の好きなことを見つけたり取り組む機会が誰にでも与えられているとは限らない。元気がない子どもにこそたくさんのチャンスを与えるのがフランスの福祉の考え方だ。

 何かを成し遂げた経験、「達成感」を積み重ねていけば、子どもは自分から「勉強やってみたい」と取り組むようになる。先生と一緒に勉強の遅れを取り戻し、通信教育で学び、準備ができた段階で自分で選んだ個別支援でない高校に入るという流れで子どもたちは巣立っていく。

 高校に入る直前の段階になると勉強時間も増える。16歳のアブデル君の例。

 彼はパソコンやゲームが得意なので、プロのゲームプログラマーのもとに毎週月曜通い終日プログラミングをして自身のゲームを完成させた。プロの人たちと一緒の環境でプレッシャーに打ち勝つことが試練であった。

 しかし、一年以上通うなかで、漠然とした夢だったプログラマーというものがどのような仕事か理解し、それを仕事とするために自分がするべきことも明確になった。

 また、「キックボクシングを習いたい」と先生と一緒に毎週通うなかで先生との絆も深めた。習い事は先生自身も一緒に申し込みして参加する。職業研修やバイトも最初の数回は一緒に最初から最後まで作業して一番近くで応援する。

 一緒に笑い、一緒に思い出を積み重ね、先生はその中で子どもをより良く知りサポートする。一緒に行き帰りする時間が子どもの打ち明け話の時間になったりもする。

 この学校では演劇のみが全員共通科目で、舞台俳優から演劇を習う。

 年度末に行う発表会は、子どもたちが人前で自身を表現できるようになること、自分の得意な役柄を見つけて演じ皆に賞賛されること、皆で助け合い作品を作りあげること、大きな成長を見ることのできる機会となっている。

 また、演技の中で感情のコントロール、態度、姿勢、あり方を学ぶ。目指している自分の姿を実現するために今自分が何をしなければならないか考える機会になる。手の空いた先生全員が一緒に演劇に参加するのは言うまでもない。

 同じ敷地にある「親学校」に通う親たちも演劇には一緒に参加する。それは子どもが施設に入っているなど子育てに悩みを抱えた親たちが、家庭内の問題と向き合ったり、議論の仕方を練習したり、プロにヘアメイクしてもらい自分をケアする時間をとったり、文化的活動に参加したりする学校である。同世代の子どもを持つ親たちの悩みや生き方に触れ交流するのも子どもたちにとっては貴重な時間となっている。

 修学旅行も子どもに合わせ個別に実現する。例えば父親について顔も名前もわからないがセネガル人らしいという子どもはセネガルへ半年間の留学、親友と一緒の時間を過ごしたい二人は二人旅、心理士とゆっくり話したい子どもは心理士と旅行に出かけた。日本に憧れていた子どもは日本のフリースクールに三週間の留学をした。

 先生は子どもの希望を実現する過程が重要であると言う。大人に失望してきた経験のある子どもは「この人は応えてくれるのか?」ということをいつも気にしている。自分の力になろうとしてくれる大人が世の中にいることを知ること、そして、自分がしたいことを実現させていけた経験は大きな強みになる。

「社会的親」に出会うこと
 フランスの児童福祉の現場には外部の力を積極的に利用しているところが多くある。この個別支援学校にはそのためのコーディネーターもいる。

 研究者は脳科学者、心理学、教育学、社会学など様々な分野から調査に出入りしていて、研究成果を職員にフィードバックして欲しいと期待されていた。食堂は近隣のオフィスで働く人たちにも開かれていて、近隣の銀行は従業員パーティーで子どもたちの描いた絵を展示販売してくれたりする。

 なるべく多くの大人に出会うことが子どもたちにとって重要だと考えられている。子どもたちは大人たちから少しずつ生き方のヒントを得て、教育や職業の世界で生きていくのに必要な考え方や「あり方」を受け継いでいく。

 「親戚のおじさん、おばさん」のように子どもが頼れる大人との関係構築を助け、卒業したあとも一人ぼっちにならず相談できる人をたくさん用意しておくことも先生たちの仕事の1つとされていて「電話帳作り」と言う。

 私も通ううちに子どもたちの要望に応えて食堂で日本食を作ったり、子どもたちをラーメン屋さんに連れて行ったり、イベント時に在仏日本企業の協力を仰いだり、子どもの日本留学を実現したりするようになり、自分の子どもと演劇や博物館や動物園に行くときはここの子どもたちも連れて行くのが日常になった。卒業してからうまくいかないとき、先生には連絡しづらくても外部者である私には相談できることもある。

 自分が期待することを父母から全て得られなくても「出会った人が与えてくれるものは全て受け取りなさい」「『社会的親』を見つけて相談したりいい影響をもらいなさい」と子どもたちは先生に言われていた。

 先生が両親に電話をし許可を得て子どもが「わーい!」と喜ぶ光景は学校が親たちに信頼されているからこそだろう。「子どもたちは世の中が不公平なことはとっくに知っている。君が与えられたものは、君が関係性を築けたということだから受け取りなさいと言う」と先生は話す。

困難を抱えた人にこそ最高のものを
政府の経済社会環境委員2018年報告書の表紙。重い荷物を持ち困難の多い道を歩まざるを得ない子どもについて描いている

 子どもによっては家族の困難な歴史、今おかれている家庭環境の厳しさなど、重い荷物を背負わされている。親の中には、自身の親とも夫とも関係が悪く、精神的な病を抱え「自分にはこの子しかいないから大人になってほしくない、友達を作ってほしくない」と言う人もいる。

 子どもたちが成長する中で親との役割の交代も見られ、子どもが親のことを心配し親の代わりに行政手続きをしたりお金の工面をしたり話の聞き役になり、親戚に対し親子の立場を挽回させるため「なんとしても自分が成功しなければならない」というプレッシャーを背負う姿も見られる。

 重い荷物を背負わされている子どもにとって「困難を抱えた人にこそ最高のものを」というモットーで手厚い支援があっても、元から困難が少ない人より有利になるわけではない。

 安心できる環境で育ち文化的活動をしてきて学校で学びを強化できる子どもだけでなく、両親が喧嘩をしていたり親が病気だったりして心配をして育ち、文化的な活動をする余裕もなく学校に出席させられている、日常と学校生活が乖離している子どももいる。

 そのような子どもたちにとって、家族の安全の方が授業より大事だったりする。学校で勉強だけでなく子どもが安心・安全が得られるための支援があることがまずは大事だ。

 そして、学びにおいても評価基準を勉強に限定することなく、成功体験を積み重ね自信を育てられる機会がいくつもあること、多様な子どもが多様な才能を育てていけるような学校の選択肢があることが重要である。

 個別支援校の子どもたちは開校時間のずっと前から校門前にいるし、土日もはりきって来る。行きたい場所であれば子どもたちは来る。

 チャンスは平等にはないし、就労の機会も決して平等ではない。それでも学校が子どもの福祉も支え、暮らしを改善していける機会になり、さまざまな選択肢を用意して子どもそれぞれが開花していける学びが実現できたら、幸せな子ども、幸せな大人を増やしていくことになると思う。

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注:筆者はパリ市と、郊外のセーヌ・サン・ドニ県で調査している。他の県で運用が同じとは限らない。
引用:
ニュース記事
https://forbesjapan.com/articles/detail/40608
Conseil économique, social et environnemental, section des affaires sociales et de la santé, 2018, Prévenir les ruptures dans les parcours en protection de l’enfance.
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安發 明子(在パリ 通訳/コーディネーター/ライター)

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