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子育ては褒めるのが大事、叱るのは良くない」が招く危うい未来

2021年6月3日 木曜日 婦人公論.Jp
個性の強さから学校で問題児扱いされるような子どもたちを集め、彼らに自由な発想と学びの場を提供することを目指した教育が、東京大学にて行われています。ディレクターを務める中邑賢龍教授は、「子育てでは褒めるのが大事、叱るのは良くない」という空気が蔓延していることに危機意識を抱いているそうで―― ※本稿は、中邑賢龍『どの子も違う――才能を伸ばす子育て 潰す子育て』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。 * * * * * * * ◆子どもにかまう時間を失った大人たち 子どもたちをどう育てたらいいのかと思い悩み、あれこれと手を尽くそうとする、ご両親の気持ちは本当によく分かります。でも、それがまた子どもとの間に“壁”を生み出すことにつながってしまうこともあります。 かつては、子どもの相手をする親以外の大人が、今より多くいたように思います。 勝手に畑に入って遊んでいれば「こら!」と本気で怒る大人。「おい、そこの坊主、ちょっと手伝え!」と声をかけては「ありがとよ!」とお駄賃をくれる大人。機械を修理しているところを眺めていると、ニコニコして「ここを触ってみな」と操作させてくれる大人。 地域の大人の皆が声をかけ、少しずつ子どもをかまってくれるような時代がありました。そしてそれによって、親が家庭でできないことを地域社会が担っていました。 しかし、そこから急激な社会の変化が起こり、人の意識も社会の制度もついていけなくなっているのが現在です。◆「うちの子はやればできる」の罪 親が望む理想的な子ども像とは、「健康で元気が良く、明るく賢くて、人に対しては優しく、仲良くやっていける」といったところでしょうか。誰が決めたわけでもないのですが、実際に社会の中でも定着しているように思えます。 ただし、子どもの特性は皆違います。たとえば宿題や受験勉強を難なくこなす子がいれば、苦手な子どもも当然います。人の生き方も、一流大学を出て一流企業に就職すれば"勝ち組"という考えはすでに通じなくなり、多様化しています。 それなのに、親はかつての理想像に子どもを近づけるべく、頑張る。そして強制されたり叱られたりすると、それができない子どもの場合、激しく抵抗するか、内に籠もっていくかといういずれかの道を進むことになります。 そもそも「宿題をやりなさい」と言われて、できる子はすぐにやっています。言い訳を持ち出してやらない子は、それなりの理由があるのです。 しかし、親は理想追求の手を緩めません。それは、子どもの事情を聞くよりも「うちの子はやればできる」という思いの方が強いからです。 ◆「勉強ができれば大丈夫」ではない なかにはモノで子どもの機嫌をとり、それでやらせようと考える親もいるでしょう。 たとえば先日、小学校6年生のNさんに「なぜ勉強しているの?」とたずねたら、「勉強したら、お父さんやお母さんがゲームを買ってくれるから」と返答してきました。そこで「勉強って、自分のためにするんじゃないの?」と聞くと、Nさんはキョトンとした顔をしてこう答えました。 「どういう意味ですか? 私の場合、成績が良ければ好きなものを買ってもらえるし、大学にも行けるだろうから、勉強しているのですが……」 この場合、親は「子どもに勉強をさせて良い大学に入れたい」、子どもは「勉強をすれば、好きなものを買ってもらえる」というサイクルの中で安定が生まれています。 実際、かつての日本の成長モデルの中なら、それでよかったのかもしれませんが、モデルが崩れたこれからはどうなるのか、やや心配になります。◆一度つまずけば問題が噴き出す また、こうしたサイクルが上手くまわっているうちは、そこにトラブルの素が潜んでいることに親も気付きません。しかし一度つまずいてしまえば――たとえばできない宿題が出されたりしたら――途端に安定が崩れ、問題が吹き出してしまう。 親が隣に座って、作業としての宿題を何とか仕上げたとしても、本質を理解し、問題に向き合っていないままですから、同じようなことが続きます。そして続けていくうちに子どもを扱いにくくなり、面倒くさいというより、どうしていいか分からなくなった親は、家庭教師や塾に頼ることになります。 万が一、子どもが不登校などになってしまえば、これはもう大変です。子どもが学校に行かないようになれば、当然、親の仕事にも支障が出てきます。 そうなれば理由を考えるより、まずお医者さんのところに行き、「不登校が治る薬をください」と言い出すわけです。即、不登校が治る薬などないとしても、医師は何らかの診断をし、子どもに服薬させ、それで親は安心します。 こうしていく中で、子どもはますます親の理想像から遠ざかっていきます。 焦り、病院や専門家を転々とする親もいますが、目先の対症療法に頼り、本質を見ないのはとても危険です。いつまでも夢や理想に向けて、ではなく、やはり目の前の現実を見つめて、冷静に子どもと向き合い、会話をしなければならないのだと思います。
◆「親が応援してくれない」は贅沢な悩み? 著名な若手の音楽コンクールで賞をとったHさんから、「夜遅くまで練習したいのですが、親が門限に厳しいので、十分に練習ができない」という話を聞いたことがあります。 立派に活躍されているし、さぞ親御さんも手をかけたのだろうと思っていたのですが、まったく逆というわけです。「応援する気がまったくない、酷い親です」とも漏らしており、ご両親ももっと応援してあげてほしい、と素直に思いました。 しかしその時、一緒に話を聞いていた知人が一言。「それは良かったね! 親の価値観を押しつけられなくて済んでいるのだから」。 確かに、最近は過干渉気味な親も増えていますし、「応援してくれない」と悩むのは贅沢な悩みかも、とも思わされました。 ◆本当に「褒めるのが大事、叱るのは良くない」のか ある伝統工芸の職人さんが次のように語ってくれたことがあります。 「親方からは叱られてばかりで、滅多に褒められませんでした。口をついて出るのも『まだまだだな』や『大したことねえな』とかで、ずいぶんと悔しい思いをしながら頑張ってきました。だから時々『いいじゃねえか』と認められた時の喜びは半端ではなく、それを重ねて、少しずつ自信を付けました。それなのに、自分が責任者を務める番になって、同じように若手を叱ると、すぐ拗ねてしまう。ついには『どうして褒めてくれないんだ』とまで言われる始末。まだまだだから、褒めていないだけなのに」 こうした傾向は職人の世界だけではなく、褒めることがとにかく大事で、叱ることや挑発は良くないという雰囲気が社会全般に漂っています。 しかし、これからの激変する社会では、自分の行為に責任を持つことがより必要になっていくと筆者は考えています。褒められてばかりで、失敗しても人のせいにする癖が付くと、まったく先に進まない時代になっていくはずです。 たとえば、もし自身の夢に振り回される過干渉な親に、子どもが依存的になるようなことがあれば、何かに失敗した際、子どもは「お父さんのせいで失敗したじゃないか」と親のせいにします。 でも親が放置して、子どもがやりたいことをやっていたのなら、もしそれに失敗しても、自分の責任にするしかありません。 だから音楽家のHさんも、そのことを自覚して練習に励んだからこそ、成長し、成果を残しているのかもしれません。ご両親が意図的にそうされているのかどうか分かりませんが、彼女の場合、現実として距離を置いた態度が良い結果をもたらしています。
中邑賢龍

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