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「おんぶ」をせがむ小・中学生たち 生育環境で得られなかった「愛」を求めて

私は家庭の事情により教育機会を得にくい児童・生徒を優先的に受け入れる無料塾を運営している。いわゆる母子家庭の子が多く通っていることも影響してか、休み時間になると講師の男子大学生に「おんぶ」をせかがむ塾生が少なくない。それも小学生だけでなく、中学生もだ。子どもが育つ過程で大人とスキンシップをはかることの重要性はすでに多方面から指摘されているが、家庭で存分に甘えることができずに育った子どもたちがいかに「愛」を求めるのか、現場で感じたことを記したい。(食事付き無料学習塾・濱松敏廣塾長)

スキンシップを求める子どもたち
 私自身、幼いころに親、特に父とのスキンシップがなかった。

 ささいなことで年中癇癪(かんしゃく)を起こし、家の中で暴れる父を見て育った私にとって、父はおんぶしてもらう対象どころか、「恐怖」もしくは「敵」と表現した方がしっくりくる人物だった。手を握った記憶すらない。父は昨年の8月にこの世を去ったが、数年前にがんで入院をした際、父の手を握った記憶がないのも悲しいことだからと、私から彼の手を握って励ました。覚えている限り唯一の父とのスキンシップ。とてもカサついた皮膚だった。

 このような生い立ちが影響しているのであろうか。親世代の男性からのスキンシップを意識的に拒否する傾向が自分の中にあったため、小学校の高学年や中学生になってまでおんぶをせがむ塾生を見た時、その気持ちが正直よく分からなかった。


 しかし、息子(5)にことあるごとにおんぶや肩車をせがまれるなか、親と十分にスキンシップをとれず、甘えられないまま育った塾生が、親からしてもらいたかったおんぶを講師にねだり、寂しい気持ちを埋めようとしているのだと理解をするようになった。

愛情を取り戻そうと試る子どもたち
 ある母親から受けた相談で印象深かった話がある。

 それは「中2になる不登校の息子が、時々抱っこをせがんでくるので困る」というものだった。小柄なその母親は病気を抱えており、自分より体の大きくなった子どもを膝に乗せて抱きしめることが苦痛だと言うのだ。母親によると、息子が小学校に入学する前の段階で、元夫のDVにより離婚をしたと言う。

 当時は家や仕事、息子の保育園を探すことに必死で、あまり遊んであげられなかった、と母親は語った。母親の立場を思えば仕方のないことだろう。

 一方で私は、子どもは得られなかった幼少期の愛情を「いつか」取り戻すものだと考えている。この家庭の場合、その「いつか」が、たまたま母親が病気になり家にいる時間が増え、息子が不登校になったタイミングだったのであろう。それが母親の悩みの種になってしまったことは不幸としか言いようがない。


シングル家庭だけの問題ではない、子どもと向き合えない父親たち
 いまでこそ父親の育児参加が推奨され盛んにもてはやされる時代となったが、仕事などを理由に、育児を母親任せにしている家庭は、依然として少なくないだろう。その意味で、「父親不在の育児」は母子家庭に限った話ではない。

 個人的体験で言えば、育児はおろか、台所に立つことすら「男のすることではない」と言ってはばからない父の下で育った私は、「子どもと向き合う父親」が全くイメージできないまま、大人になったと言っても過言ではない。働く大人としての父親像はあっても、家庭の中でどのように振る舞ったら良いのか分からなかった。このような悩みを抱える父親は多いのではないだろうか。

 私の場合は、幸いにも塾経営を通じてたくさんの学生講師が子どもたちに無償の愛を注ぐ姿を目にする機会を得た。さらに、結婚し子どもが生まれてからは義父が子どもを可愛がる姿を見せてくれた。生育環境などにより現在進行形で苦しむ塾生を支援している立場のつもりだったが、これらの体験を通して改めて学ぶことは多かった。時間はかかったが、私自身も「愛情を注ぎ・注がれる」という体験を取り戻す機会を得たと見ることもできるかもしれない。

良いスキンシップの「コツ」は
 スキンシップは、さまざまな誤解や犯罪を生む恐れがある。そのため、「とにかく触れ合いを」と推奨している訳ではない。では、「良い」スキンシップのコツはあるのだろうか。また、スキンシップが上手い人の共通点はあるのだろうか。


 塾生たちが求めるスキンシップに対して自然な対応ができる学生講師に話を聞いてみると、自分の親もしくはその他の身内との関係性が良好な場合が多い。また遊んでいる姿を見ても「遊んであげている」と言う上から目線がないように見受けられる。おそらく、授業の中でも雑談を通じて塾生との距離を縮めているのであろう。

 何より、子どもたちを「受け入れる」姿勢を持っている。自分からスキンシップをしにいくのではなく、子どもからの接触を穏やかに受け入れることに徹しているのだ。もちろん、度を越した悪ふざけをすれば「それはダメだよ」と指摘するが、基本的にはおんぶをせがまれればしてあげる。話を聞いてほしそうであれば聞いてあげる。拒絶するような態度はほとんどない。子どもたちは自分に向けられた態度や表情以外にも、学生講師がどんな態度で他人と接しているのかもよく見て、甘えても大丈夫な大人がどうかを判断している。子どもたちは、大人の表情を読み取る達人なのだ。

 当塾には毎年、100人以上の大学生・高校生がボランティア講師として集まる。参加の動機は、「教育格差を改善したいから」、「自分もひとり親家庭で育ったから」、「友達に誘われたから」、「子どもが好きだから」など、十人十色。

 きっかけはどうであれ、その多くは塾生の学力向上だけに目が向いている訳ではなく、「根気強く寄り添い見守ること」にも理解を示してくれている。そのため、ボランティアだからといい加減な対応をすることはほとんどない。

 我が家で、隙があれば親の膝に座ってキャッキャと騒ぐ子の姿を見ていると、子どもと自然なスキンシップがとれる学生講師たちは、自然とこうやって親からの愛情を受けながら育ったのだろう、と改めて感じる。

コロナ禍で減る、スキンシップの機会
 幼少期のスキンシップが子どもに与える影響についてはすでに様々な研究が行われており、情緒の安定や非認知能力・社会性の向上などの効果が指摘されている。

 子どもは、大人とのスキンシップを通して寂しさを埋め安心感を得る。また、自分を受け止めてくれる優しい存在を探しているのかも知れないし、スキンシップを通じて自分の味方になってくれる相手かどうか判断しようとするのかも知れない。また、家庭が崩壊し親から十分な愛情や安心感を得られなかった子どもにとっては、大人と触れ合いながら無意識のうちに社会との関係の再構築を試みているのではないか、と思うこともある。


 子どもが大人とスキンシップをとれる場は、(1)家庭(2)学校(3)塾・習い事をはじめとする放課後の活動拠点――の3つに分けられるのだが、家庭に「不和」が生じている子どもにとっては、そもそも(1)は選択肢にない。その中で新型コロナウイルスの感染拡大により(2)の学校にも行けない時期が生じ、再開後も課外活動が制限されるなどこれまで通りの日々を送りにくくなってしまった。このような状況の中、信頼できる大人と、スキンシップを含めたコミュニケーションを取ることができる(3)の場の重要性は増していると考える。

塾にできること
 コロナ禍、私が運営する塾でもオンライン授業に切り替えた。講師陣ら、大人と直接触れ合うことができなくなり、寂しい気持ちを募らせている子どもはかなり多いと考えられる。そんな子どもたちに対して、私たちは何ができるのだろうか。対面でのやりとりが難しい中、「おんぶ」に替わって塾生らに安らぎを与えられるような環境を用意することができるのだろうか。

 塾長である私が悩んでいる間に、ボランティアの学生講師達はその答えを自ら試行錯誤し、示してくれた。

 次回はそのことについて触れたいと思う。


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